お遍路の歴史③

  • 2021年6月1日
  • 2022年4月21日
  • お遍路
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今回はお遍路の歴史の最終回です。江戸時代を通して、お遍路は大衆に広がっていきました。しかし、明治時代に入ると、一気に衰退することになります。厳しい時代を経て、いかにして今の姿になったかを紹介します。henro kigen 1

明治時代から第二次大戦まで 

遍路の衰退期  神仏分離令  廃仏希釈運動

明治維新は、当時の人々の生活に大きな影響を及ぼしただけでなく、遍路そのものにも非常に大きな影響を及ぼしました。明治新政府による神仏分離令、それに続く廃仏希釈運動より寺や神社が廃止され打ち壊された時代でした。神仏分離令とはどういう事ですか?神道と仏教をはっきりと区別することを命じた法律なんだ。

神仏分離令とは?

これまで人々の生活に浸透していた神仏習合の慣習を禁止して、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させることを人々に命じたものです。ちなみに神仏習合の慣習とは、一例を挙げると、子供が生まれた時は、神社(神道)にお参りする一方で、葬式は、お寺(仏教)で行うといった、神も仏も信仰する慣習のことです。廃仏希釈運動も教えてください。仏像や寺の破壊といった運動のことを指すんだ。henro kegen3

廃仏希釈運動とは?

神仏分離令が明治新政府から発令された結果として、仏像・仏具の破壊といった運動が全国的に発生しました。四国では特に高知県において過激な行動となって表れました。郷土史研究の第一人者である三好昭一郎氏の研究によれば、当時751あった寺が約1/3の211まで激減したとの事です。hennro kigen 2

これは非常に悲しい歴史です。当時の新政府は仏教を廃止することを意図していた訳ではなく、あくまでも神道の国教化政策を行う為に、新道と仏教を分離することが目的でした。私も高知の霊場を巡礼している中で、首から上が不自然に切り落とされた仏像が至る所にあったことを覚えています。Henro kigen 4

戦後 

遍路巡礼の復活

昭和30年代以降は、人々の生活や意識の変化と共に、車やバスでの巡礼、昔ながらの歩きながらの巡礼といった各人のスタイルに応じた遍路文化が引き継がれています。henro kigen 6

最近は、日本伝来の文化に対する海外からの関心が高まっており、インバウンドの流れに乗って、歩き遍路をする外国人のお遍路さんに出会う機会が多くなりました。私が区切り打ちをするような短い期間であっても、10年前は滅多に出会うことはありませんでしたが、最近は外国人のお遍路さんに会わないことはない位に遍路の国際化が進んでいるのを感じています。henro kigen 8

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