お遍路の歴史③

  • 2021年6月1日
  • 2021年6月22日
  • お遍路
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今回はお遍路の歴史の最終回です。

江戸時代を通して、お遍路は大衆に広がっていきました。

しかし、明治時代に入ると、一気に衰退することになります。

厳しい時代を経て、いかにして今の姿になったかを紹介します。

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明治時代から第二次大戦まで 

遍路の衰退期
神仏分離令
廃仏希釈運動

明治維新は、

当時の人々の生活に大きな影響を及ぼしただけでなく、

遍路そのものにも非常に大きな影響を及ぼしました。

明治新政府による神仏分離令、それに続く廃仏希釈運動

より寺や神社が廃止され打ち壊された時代でした。

太郎くん
神仏分離令とはどういう事ですか?
チー坊
神道と仏教をはっきりと
区別することを命じた法律なんだ

神仏分離令とは?

これまで人々の生活に浸透していた神仏習合の慣習を禁止して、

神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させることを

人々に命じたものです。

ちなみに神仏習合の慣習とは、一例を挙げると、

子供が生まれた時は、神社(神道)にお参りする一方で、

葬式は、お寺(仏教)で行うといった、

神も仏も信仰する慣習のことです。

太郎くん
廃仏希釈運動も教えてください
チー坊
仏像や寺の破壊といった運動のことを指すんだ。

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廃仏希釈運動とは?

神仏分離令が明治新政府から発令された結果として、

仏像・仏具の破壊といった運動が全国的に発生しました。

四国では特に高知県において過激な行動となって表れました。

郷土史研究の第一人者である三好昭一郎氏の研究によれば、

当時751あった寺が約1/3の211まで激減したとの事です。

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これは非常に悲しい歴史です。

当時の新政府は

仏教を廃止することを意図していた訳ではなく、

あくまでも神道の国教化政策を行う為に、

新道と仏教を分離することが目的でした。

私も高知の霊場を巡礼している中で、

首から上が不自然に切り落とされた仏像が

至る所にあったことを覚えています。

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戦後 

遍路巡礼の復活

昭和30年代以降は、人々の生活や意識の変化と共に、

車やバスでの巡礼、昔ながらの歩きながらの巡礼といった

各人のスタイルに応じた遍路文化が引き継がれています。

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最近は、日本伝来の文化に対する海外からの関心が高まっており、

インバウンドの流れに乗って、歩き遍路をする外国人のお遍路さんに

出会う機会が多くなりました。

私が区切り打ちをするような短い期間であっても、

10年前は滅多に出会うことはありませんでしたが、

最近は外国人のお遍路さんに会わないことはない位に

遍路の国際化が進んでいるのを感じています。

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