お遍路の歴史②

  • 2021年5月29日
  • 2021年6月22日
  • お遍路
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お遍路の歴史についての2回目です。

修行の位置づけとして一部の人だけが

行っていたお遍路がいかにして

今のような姿になったかを紹介します。

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江戸時代初期(1603年~)

遍路の父「真念」
民衆化の黎明期

平安時代から続く四国巡礼は、江戸時代に入るまでは、

修験者や僧侶といった人々が中心となった

修行としての位置づけが強かったと考えられます。

江戸時代初期には、

現存している最古の遍路日記といわれる

『四国辺路日記』(1653年)が

学問僧の澄禅によって著されました。

この書物は、当時の様子について記された資料では、

最古のものであると言われています。

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同時期には、

四国八十八箇所を20回以上歩いて巡礼を行い、

遍路の原型を作り、遍路の父と呼ばれる真念がいます。

彼は、現存する初めての旅行ガイドブックといわれる

『四国邊路道指南』(1687年)を出版しました。

真念の功績は、遍路を庶民にも定着させたことです。

更に彼は不慣れな庶民でも安全に遍路が出来るように、

各地に遍路宿を建立し、標石を200基余り造立しました。

元禄時代(1688年~1704年)

澄禅や真念の功績により、

修行者だけでなく、一般庶民が遍路巡礼を行う為、

四国にやってくるようになりますが、

彼らの主体は、まだ庄屋や豪農といった当時の金持ちでした。

享保時代(1716年~1736年)以降

民衆化の定着期
職業遍路の出現

遍路が一般庶民に浸透し始めることで、

いわゆる辺路での修行という側面から、

より開かれた巡礼に遍路の位置づけが変化してきました。

こうした動きの中で、地元の人からの接待を悪用する

職業遍路という人々が出現するようになります。

厳格な規律に守られた修行から民衆化への

流れの中では、致し方ないことですが、

遍路に対する嫌悪感を持つ地元の人もいたようです。

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