お遍路の歴史②

  • 2021年5月29日
  • 2022年4月21日
  • お遍路
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お遍路の歴史についての2回目です。修行の位置づけとして一部の人だけが行っていたお遍路がいかにして今のような姿になったかを紹介します。henro 3

江戸時代初期(1603年~)

遍路の父「真念」  民衆化の黎明期

平安時代から続く四国巡礼は、江戸時代に入るまでは、修験者や僧侶といった人々が中心となった修行としての位置づけが強かったと考えられます。江戸時代初期には、現存している最古の遍路日記といわれる『四国辺路日記』(1653年)が学問僧の澄禅によって著されました。この書物は、当時の様子について記された資料では、最古のものであると言われています。hennro 2

同時期には、四国八十八箇所を20回以上歩いて巡礼を行い、遍路の原型を作り、遍路の父と呼ばれる真念がいます。彼は、現存する初めての旅行ガイドブックといわれる『四国邊路道指南(1687年)を出版しました。真念の功績は、遍路を庶民にも定着させたことです。更に彼は不慣れな庶民でも安全に遍路が出来るように、各地に遍路宿を建立し、標石を200基余り造立しました。

元禄時代(1688年~1704年)

澄禅や真念の功績により、修行者だけでなく、一般庶民が遍路巡礼を行う為、四国にやってくるようになりますが、彼らの主体は、まだ庄屋や豪農といった当時の金持ちでした。

享保時代(1716年~1736年)以降

民衆化の定着期  職業遍路の出現

遍路が一般庶民に浸透し始めることで、いわゆる辺路での修行という側面から、より開かれた巡礼に遍路の位置づけが変化してきました。こうした動きの中で、地元の人からの接待を悪用する職業遍路という人々が出現するようになります。厳格な規律に守られた修行から民衆化への流れの中では、致し方ないことですが、遍路に対する嫌悪感を持つ地元の人もいたようです。henro 2

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